私の経歴の裏側にあることや、こだわりなど、こちらに書き綴っていきたいと思います。
born on March 30,1962
≪Jul 1, 2023 update≫
My specialities.
今、自分の特異性を活かして多岐にわたる多種多様なことに取り組んでいます。これらは誰もが活かせる特異性をもっていることを確信し、それらを活かすお手伝いができるのが自分の特異性だとわかったからでもあります。 それぞれの人が自分らしく、思い通りの毎日をイキイキと生きられるサポートをしています。 真の豊かさが感じられる世界創りの一翼を担うことを目指した活動です。 てんでバラバラなように思えますが、直感に加え、心理学、脳科学、動物生理学に裏づけられた思考分析がベースにあり、その上の共通のキーワードは「信用」「信頼」「共感」です。
My experiences and backgrounds.
平成の約30年間に8つの企業に所属しましたが、その間にさまざまな経験をすることができました。会社をコロコロ変えているようにも見えますが、すべてつながっていて、前の経験が活かされ積み重ねられていました。
多種多様な経験をしています。実践経験が何よりの引き出しだと考えています。
上場企業、外資系企業、日本法人、上場準備企業、日本企業、ベンチャー企業、個人企業、一人経営者企業、合併企業、独立子会社
代表取締役、専務取締役、取締役、CMO、執行役員、代表社員、個人事業主、 事業責任者、管理職、専門職、正社員、契約社員、出向社員、外部委託
教育事業者、技術メーカー企業、IT企業、技術開発企業、コンサルティングファーム、人材派遣業、人材紹介業、人材育成コンサルティング業
子会社設立、株式会社設立、合同会社設立、個人事業開業、社名決定、ロゴ作成、事業計画、登記、融資依頼、定款作成、補助金・助成金申請、名刺デザイン、会社案内作成、リーフデザイン、三つ折リーフ作成
開発系技術部門、研究系技術部門、社長室、経営企画室、営業企画室、事業部門、人事部門、 管理部門、営業部門、広報部門、マーケティング部門、IT担当部門、情報システム部門、社員教育部門、人材採用部門、人材育成部門、ヘッドハント担当部門、新卒採用担当部門、中途採用担当部門、派遣採用部門
講師、オンライン講師、生配信講座講師、講師育成、社員教育、人材育成マップ作成、教育カリキュラム作成、教材開発企画、教育コンテンツ作成、ビデオ教材開発、eラーニング教材開発、資格制度立上げ・運営、ワークショップ主催、プレゼン研修、年齢別研修、人事部研修、開発言語、個人情報保護、組込み技術、情報セキュリティ
イベント主催 、イベントディレクタ、イベントプロデュース、イベント裏方、イベントMC、イベントプレゼンター、展示会出展企画、社内イベント企画、社員総会企画、製品説明会企画、株主総会運営、ムービー企画制作、動画撮影、写真撮影、動画編集、画像編集、パネルディスカッションプロデュース、モデレータ、パネラー
サーバー設定、ドメイン取得、ドメイン設定、グランドデザイン、Webサイト立ち上げ、ホームページシナリオ企画、ホームページ制作、ホームページ技術監修、ホームページ監修、HTML、XML、HTML5、CSS、CGI、JS、OpenPNE、CMS、Movable Type、WordPress、Jimdo、HomePageBuilder
特許取得、商標登録、実用新案、書籍執筆、書籍監修、書籍編集、雑誌コラム連載、雑誌記事投稿、雑誌取材対応、基調講演、講演、アワード受賞、ソフトウェア開発、電気回路設計・組立、電子回路設計・組立、組込み回路設計・製作、CG、3DCG、画像処理
新規事業立ち上げ、事業撤退、全国展開対応、協会設立、協議会設立・運営、事業所設立、オフィスデザイン、オフィスレイアウト、事務所移転、上場サポート、海外視察企画、アワード企画、学生就職支援、大学生就業支援、大学支援、大学生模擬面接、ES添削、専門学校教員育成支援、専門学校教材制作
ヘッドハンティング、転職、抜擢、左遷、降格、子会社出向、社内出向、リストラ、早期退職、親会社出向、退職勧奨、パワハラ、雇用調整、人材紹介、人材派遣、業務委託契約、派遣人材採用、人材採用面接、人材採用イベント出展、適職フェア出展、大学訪問、起業
神戸、大阪、笹塚、新宿、大手町、有楽町、中野坂上、浅草、広尾、銀座、新橋、渋谷、府中
<出張拠点>池袋、荻窪、横浜、名古屋、博多、仙台、盛岡、札幌、高松、松山、広島、那覇、北京、上海、ボストン、シアトル、ニューヨーク、ハワイ、サンフランシスコ、ラスベガス、ニューオリンズ
私の誰かに教えるという起源は、小学校4年生の時に遡ります。当時の担任の先生が、成績の良い子は同じ地区の成績がよくない子に家庭教師のように家に行って教えないさい、と。その教える側に任命されて、そこで教えることの難しさや、教えることで自分もよくわかることや、教えてわかってもらえる喜びを感じることができました。担任の先生がそれを意図していたのかどうかはわかりませんが、そこが今の自分のルーツであることは間違いなく、感謝しています。
とはいえ、同じく小学校低学年からエンジニアになることを志し、迷うことなく高校は理系、大学も電気系一本でしたが、大学院の時に技術に関して挫折し、同時にヘルプをしていたCG専門校のカリキュラム作成や講師に天職を感じ、技術者をサポートする側なら一流になれると思い、そちらの道を歩むことを心に決めました。
それでもその後、一旦技術者となりましたが、やはり違うと感じ一定の成果をあげた後、技術者教育の世界に入りました。最初は外資系(日本DEC)で、研修実施ごとにマークシートで評価を受け、それが数値化されて人事評価となりました。受講者からの評価は、講師だけでなく、教材や環境も対象でした。自分が作った教材でなくても評価を自分が受ける。いかにしていい教材かと見せることも求めらました。そんな環境でいろいろかなり鍛えられました。技術については先輩にいろいろ教えていただきましたが、教育に関しては自己流。それでも、技術者の気持ちがよくわかりましたので、かゆいところに手が届くと言っていただけることがあり、自信を得ました。単に教えるというだけでなく、満足感をもっていただかないと高い評価は得られず、そこもかなり鍛えられました。お客様の名前も覚えました。受講者が一クラス20人もいれば全部覚えられないのが一般的ですが、受講者側からは講師は一人。絶対に覚えています。こちらはわからないくても向こうはわかる、なので街では悪いことはできない、しませんけど。。という芸能人のような感覚でした。そんなこともあり、年間約400名を担当しましたが、当時名前を全部覚えました。2度目に受講された際に、前回受講のことをこちらからお話すると大変喜んでいただけました。そんながんばりもあって、100人以上いた教育部で、年間第2位となり表彰されるとともに、外資系らしく、ハワイで行われたWorldWideなアワードセレモニーにも参加させていただけました。そのあと、講師育成にも携わり、ビデオ教材の作成も行いました。
そして、日本DECはマイクロソフトからMicrsoft Universityの教材ローカライズから実施運営まで委託を受けていた関係で、自分もそれらにかかわり、結果、マイクロソフトのそれらの担当へと転職することになりました。その後、教育・資格プログラムの責任者となり、異動で社内SEの教育担当、そして、文教営業と、教育関連を一通り経験し、NRIの教育子会社へ転職。教育ビジネスや教育コンサルティングを担当しました。
その後、人材派遣と教育を組みあわせた新しい企画を実践すべく、派遣会社に所属し、期待は大きくいただきましたが、事業としてはうまくいかず事業撤退となりました。
その後、組込み人材不足を補うべく組込み技術者育成の会社設立に参画し、立ち上げました。エンタープライズと組込みの両方がわかり、かつマーケティングもできる稀有な存在として一定の成果をあげましたが、その後、親会社に移籍しました。その後、ひょんなことから心理学を学び、それが人材育成に活用できることがわかりました。そもそも、講師には優秀な講師とそうでない講師がいますが、その差は何なんだろうと追求していましたが、それは心理学で説明ができることがわかったのです。要は優秀な講師は、心理操作がうまいということだったのです。さらにそれはなぜかと追求すると、脳科学にいきつき、しっかり勉強しました。今の会社名である「ヘルシーブレイン(健康な脳)」は、そこからきています。脳が健康であれば、何でもうまくいく、という考えです。人材育成は、教育の積み重ねでは到達できない世界があります。成果につなげるためには、「心技体を鍛え」「人材育成をプロデュースする」ことがとても大事であることを実感し、それらをサポートしています。
1995年、マイクロソフトに入社しましたが、ヘッドカウント的には、今でいう eラーニングの担当でした。当時は、CBTとかディスタンスラーニングとか、オンラインラーニングとか、いろんな言い方がありました。当時マイクロソフト米国本社では、有料のクローズドネットワークであったMSNのコンテンツとして、教育コンテンツを載せようとしていて、それを日本でも展開するためでした。MOLI(Microsoft OnLine Institute)と呼んでいました。マイクロソフト認定技術教育センター(ATEC)で組織する協議会を設立し、幹事会社であったANT、FLM、NEC、NRI、DEC社らと、米国へ視察ツアーにも行きました。結局、MSN自体が無料のポータルサイトとなり、MOLIは、なくなりましたが、オンライントレーニングの礎になりました。
日本DECで10巻ほどで100万円もするビデオ教材を開発していたり、もとはと言えば学生時代からCG研究をしていたこともあり、その後Webベースの技術も習得して、オンライントレーニングの在り方も追求し、NRIで「RealBrend Learning」として、確立し提供をしました。その頃から、eラーニング専門事業者が増え、何社かと連携しながら、LMSや、さまざまな形式の eラーニング に関わってきました。プロのナレーターを中心に組織化して、eラーニングの音声の研究もしていたこともあります。個人情報保護に関する社員研修の毎年更新版の eラーニングは、2009年から提供を継続していました。
複数の会社で人材採用を担当しました。専任ではないものの派遣もあわせると300人以上と面接したことになるかと思います。人材採用系の雑誌では、特集で取りあげていただいたこともありますし、取材いただいたこともありますが、自社での採用で掲載したこともあります。さらに、人材紹介会社に所属したこともあり、自身が複数のスカウト会社にお世話になったこともあります。要は、紹介する側、採用する側、そして自分自身がその人、という三方の経験があり、両面を知っているからこそのツボが見えていて面白いです。それをもとに、企業の採用支援と、学生や転職希望の就職支援の両方を実施していますが、教育・人材育成をからめた、人も企業もメリットのある仕組みつくりを目指してきました。まだまだこれからですが。
マイクロソフトはマーケティングの会社でした。しかし、そこでのノウハウは一般の会社では通用しませんでした。まぁマーケティングと言っても、コーポレートマーケティングから、製品マーケティング、マーケティングコミュニケーションまで、多種多様な内容を指す一般用語な(逆に日本語で明確化にしにくい)ので、目的次第ですけど。でも、黎明期のWebページ作成や、リーフレット、事例集などの紙モノの作成や、イベント主催、記事広告、講演広報活動など、幅広く経験できたことは今でも生かされています。
小学校低学年で半田付けを経験し、通信教育を受けたり、真空管ラジオを作ったりしていました。「ラジオ・音響技能検定」という試験にも合格しました。高校は理系、大学は電気系一本で進み、大学4年生の研究室選びでは、電気系ではなく電子演算工学研究室を選択し、いわゆるコンピュータの技術を専門的に学びました。当時、Basic言語は自己流で学びましたが、大学では Pascal を学び、C言語へとつながっていきます。ソフトとハードの両面をコンピュータの黎明期から学べたのは幸せものです。大学での研究はコンピュータグラフィックス(CG)で、3D CAD/CAMのチームでしたが、高性能グラフィック専用IC(8087)を使っても、ワイヤーフレームが1秒に1コマ動くかどうかの時代です。
最初の会社でコピー機の研究と開発に携わりましたが、その際に画像処理に関する回路設計やディザパターンなどで特許を6件取得し、海外特許も2件取得しました。当時、会社からの報奨金は1件6,000円でした。
その後、技術教育の世界へ転身したので、そのものを追い求める技術者ではなくなりましたが、でも、WindowsNTのベースとなっている DECのVMSを学べ、メインフレーム系からPC系、ハードからソフトまで、技術が成熟する前にその進歩とともに時代を生きられたことは、本当によい時代に生まれたと感じています。
今では、家電製品もほとんどがモジュール化していて、中をあけても全然面白くなく、かつ修理もできなく残念ですが、ハードウェアに関する基礎技術はそれなりに活かされているように思います。ソフトウェアも、どんどん進化している言語などには全くついていけていないですが、C言語とHTMLの基礎それなりにしっかり身についているので、元来の論理思考やデザインマインドとあわせえて、簡単なWebページなら自分で作れるかなというところです。
情報セキュリティに強みを持っていた関連で、2005年、個人情報保護法について関係することになりました。当時、いろんな教材がありましたが、これは素晴らしいと思ったeラーニング教材を監修されたのが岡村久道弁護士。当時所属していた企業でその教材を取り扱わせていただくことになり、その後、講演のおっかけをしていまいた。テレビに出たり、国の仕事をされているすごい先生ながら、人柄もすごくて、そして弁護士ながら工学博士。理系脳と文系脳のツインピークを一人でもつ超達人。何より講演がわかりやすい。こんな先生と一緒の舞台(セミナー講演会)に立てたらよいなぁと当時思っていたのですが、それが約5年後の個人情報保護士会総会で実現しました。
その間、自身も個人情報保護士認定試験公式テキストの執筆に携わり、岡村先生のぶっとい書籍を読んで正しい知識を入れつつ、おっかけをすることで関連法令や国の動きなども教えていただき、法律とは何ぞやということまで知れたように思います。法律は文系頭と思っていましたが、実は至って論理的で、ロジカル脳がなければ理解できないものなので、実は理系脳が重要だったりして、と思っています。これらの経験は、会社法やコンプライアンス系の法律、さらにここ数年前から、弁護士、社労士、税理士と連携し働き方改革関連法や起業に関係する法律について、現場視線での対応ができる人として活かされています。
大学院時代に「なるほど・ザ・デジタル」という講演をして以降、講演の楽しみ喜びを感じ、企業様からのご依頼にもとづいて、ご参加される方が10数名から1000名弱まで幅広く経験してきました。オンライン講演よりは人がいる方が得意でした。でも、NTT東日本様、Schoo様、IKUSA様、専門学校様など機会を多くいただき、コロナ禍の中、今や必須のオンライン講座やオンライン講演も思い通りにできるようになりました。
マイクロソフト時代に、資格関連書籍の協力で出版社さんと密にコミュニケーションさせていただくことになりました。当時としては、ありえない出版社同志の連携や、今ではあたり前になっている正誤表のWeb掲載などを始めたり、かなり画期的な取り組みをしました。自身では、資格関連では監修はありましたが、著作としては、PowerPointのノウハウ本の執筆が初めてです。共著で大半はもう一人の人なのですが。その後、個人情報保護資格の公式テキストの法律部分の執筆をさせていただき、現在も改訂7版が出版されています。
マイクロソフト時代に教育と資格プログラムを担当し、新しい施策をどんどん出していたのと、ベンダー資格ブームがあわさって、取材があいつぎ、毎月3~4くらいのの雑誌に掲載されていました。その後も取材対応や、新聞記事になったもの、こちらからお願いして掲載したもの、記事広告、コラム連載など、出版社さまといろんな仕事をさせていただいてきました。
マイクロソフトが大阪で開催したパートナー向け説明会。そこで見た情景が自分を大きく変えました。センス良い、カッコ良い。その後、マイクロソフトで提供側になり、信念たるものと細部へのこだわりを自分も培い、裏方からMC、プレゼンターまですべて第一線で経験し、全体プロデュースの重要性を学びました。
展示会への出展も、全体企画からブース設計、ギブアウェイやアンケートに至るまで、細部にセンスを活かしつつ、業者さんたちともギリギリまで磨きあげる経験は、なかなかできないものです。登壇者のサポートでは、秒単位の映像や音声のタイミングから演台までの歩数確認まで、何度も確認。プロフェッショナルです。ほとんどの人が気づかないところでも、そのこだわりが「何か違う」と感じさせるものなのですよね。
その後もそれらのノウハウは、社内イベントや社員総会等、さらに自社の展示会ブース出展やブース内でのプレゼンなどに活かされ、自社以外でもトータルプロデュースサポートに活かされています。ある会社の新社長就任披露パーティでは、全体プロデュースとシナリオ作成、オープニングムービーや登壇者ムービーの作成、さらに当日はディレクター兼スイッチャ―もこなしました。かなり緊張しましたが、とてもよい経験でした。
東証一部上場企業の管理職や、ジャスダック上場企業の事業責任者を経験させていただいたことはとても大きな経験です。さらに、上場をめざす会社で、マーケティングを担当し、社内整備に携わったり、上場後の企業価値を高める(=株価を上げる)視点を学べたことも今に活かされています。上場の意義や株価評価は、時代とともに変わっているように思えますが、ベースの部分は変わっていないと思っています。
今は融合の時代。強者同志がつながってよりよいことが生まれる。時代の先駆けのようにコンペティターである同業をつなぐ協議会を作ったのが1996年。大きな成果をあげられました。それ以降もさまざまな強者連合体を作ってきました。重要なキーワードは「Win-Win-Win」。「Win-Win」ではないところが大きなキーポイントです。
役員である上司からの退職勧奨と、同時にいただいた社長からの本気の期待との狭間で苦しむ状態が半年ほど続いたところで、このままでは心理的にやられてしまうと感じ、学び始めた心理学。大きな出会いでした。躁鬱的ではありましたが、まだ自身がコントロールできていたので、心療内科とかではなく、ポジティブ系の何かがあればいいなぁと思っていたところで、レンタルオフィスで一緒だった人が師事していた小田全宏氏の講演に行った際にはじめて出会った心理学の衛藤信之先生。日本メンタルヘルス協会で学び、基礎心理カウンセラーの認定をいただいたのが、ちょうど50才の誕生日というのも何かある。先生とも懇意にさせていただけました。小田全宏先生の記憶術をとおした自己肯定も大きなカテとなりました。今でいうパワハラ、モラハラ、セクハラ満載の環境でしたが、それがなかったら、これらの先生との出会いもなかったと思うと、良かったなとも思います。
心理学を学んでいくと、人材育成にも大きく関係していることが、わかりました。もともと講師育成もやってましたが、良い講師とそうでない講師は何が違うのか追求していましたが、心理学で裏づけられていることを実践しているかどうかが大きいと思えたのです。そして、その心理学を勉強していくと脳科学に行きつき、ここは独学ですが、100冊以上の書籍を読み、どう活用すればよいかがはっきり見えました。今、事業として提供している、人材育成プロデュースやコンサルティング、マーケティングなど、すべてにおいて、この心理学・脳科学を活用しています。「脳が健康であれば、何でもうまくいく」ということを感じ、実践しています。これが今や社名にしています「ヘルシーブレイン」の意味です。
失敗と挫折だらけの人生です。超大量になりそうですが、少しずつ思いだし書いていこうと思います。 「陰湿ないじめで性格がひんまがった!?」「県立高校合格したのに希望校以外にまわされた。」「思いどおりの大学受験を指せてもらえない高校だった」「国立大学の大学院に合格!そして単位はすべて取得し成績も優秀。でも中退」「2年前に大学卒業したのに新卒扱い。ある一言に心が折れた。」「学校英語は超得意だったのに全く通用しない外資系での辛さ」「人事は夜決まるに負けた左遷」「秘密は守りますと言われてのこのこ相談に行った人事に裏切られてクビ」「派遣社員のネットワークを味方にしなかったツケが」「仕事よりゴルフで人事が決まる」「自分の上司と部下が裏でつながっている脅威1,2,3」「甘かった事業企画」「人材サービスと人材育成の理念の違いで事業撤退」「ワンマンのサポートしきれず」「責任をもたせてもらえず無責任男に」「弱者連合にパワーは生まれず」
My lifecareer histories and minds.
私の経歴の裏側にあることや、こだわりなど、こちらに書き綴っていきたいと思います。
「世の中アイデア勝負!」「Win-Win-Win」そして「すべては必然」。
My business career.
大学院休学中にコンピュータスクールの立ち上げに参画させていただいたところから、私の仕事キャリアが始まりました。正式には三田工業で社会人人生がスタートし、平成に変わったと同時に日本DECへ移り、その後マイクロソフト→野村総研→クリエアナブキと続きました。そして退職とともに初めてフリーになった矢先に、書籍執筆の依頼をいただき、校了後すぐにイーソルエンベックス社の立ち上げに参画させていただきました。その後、親会社イーソルに転籍し上場準備をしましたが、一旦上場断念とともに担当役員から退職勧奨をうけ退職。そこでまたフリーとなりました。その間にパソナテック社、アビリティアンズ社、アイボス社、ギジネス社、Willコミュニケーション社などの役員や業務委託社員を経て、現在の主軸であるアイカム・シンカ社を立ち上げ、さらにヘルシーブレイン社を立ち上げた平成年間でした。
これらのすべてが私の今に寄与しています。所属年等は こちらのページ⇒ に記載しています。
1995年Windows95の発売前からWindowsXPの発売後まで、教育と資格プログラム、社内SE教育、文教マーケティングとして、さまざまな仕事を責任者として担当いたしました。
教育統括部にて、VMSをはじめさまざまな技術教育講師を担当し、ビデオ教材やオンライン教材を含め教材開発も実施。講師育成や本社ツアー、ビジネスマネージャ等も担当しました。
教育子会社にて、事業開発や営業企画を担当しました。対外的な営業組織や広報マーケティング部門の立ち上げ、集合教育とeラーニングの融合プログラム企画を行いました。
コピーの三田で工場実習の後、本社技術研究所で高速化技術を勉強し、開発部門で画像処理機能の設計を担当。回路設計から製作、ソフト開発を一人行い、特許を6件取得しました。
組込み技術者不足を補うべく、組込み業界老舗のイーソルの子会社として、技術者育成と技術者派遣の会社設立に参画。取締役CMO人材育成事業部長を担当しました。
親会社が目指していた上場準備のため、マーケティングの整備と人材育成・活性化を担うべく移籍し、経営企画室、広報、コーポレートコミュニケーションセンターを担当しました。
ジャスダック上場の派遣会社で、人材育成を本格的に行い、プロフェッショナル人材を派遣・紹介するプログラムを立ち上げるとともに、東京拠点を開設しました。
大学院在籍中に、コンピュータグラフィックスとコンピュータミュージックの専門校立ち上げに参画し、カリキュラム開発とともに講師も担当しました。
弁護士、社労士、税理士、ITサポーター、企業コンサルタント、人材育成プロデューサーの6名が企業と社員の共栄を目指して支援活動をしています。
働き方改革時代の企業内の人材育成。心理学・脳科学を活用し、人と企業が共栄を目指して活動しています。
仕事と生活をともに充実させるため、それらのバランスではなく融合することを目指し、それらのサポートができる人を育成しています。
個人情報保護の企業への浸透・定着を目指すとともに、個人情報保護士認定資格を普及させ、活動支援をする一般財団法人の理事を務めています。
多摩地区で起業している人、したい人によるコミュニティと、コラボレーションを実現する活動を推進しています。
府中多摩地区を中心に、学生から20代の若手社会人を対象に、仕事への取り組み方や社会貢献マインドを、実体験しながら身につけるコミュニティ&学びの場をプロデュースしています。
2006年に企業所属を離れ、個人情報保護関連や専門学校・大学支援など、ご依頼いただいて携わらせていただいている活動を継続しています。
プライバシーマーク、ISMS認証取得に関する専門企業の 社員教育に特化したコンサルタント・講師をしています。